麻生氏の本音と世襲問題
2009年7月27日
宇佐美 保
麻生太郎首相は、これまで失言を暴言を繰り返して来ました。
なにしろ、麻生氏の選挙民を前にしての最初の挨拶が“下々の皆様・・・”であったというのですから驚きです。
そして、今回は、東京新聞(2009年7月26日 朝刊)によりますと次のようです。
首相は横浜市で「六十五歳以上で、介護を必要としない人は八割を超えている。この人たちは働くことしか才能がないと思っている。八十歳を過ぎて遊びを覚えても遅い。高齢者が働けるようになれば、年金を受け取る方ではなく、納税者になる」などと発言した。 |
この麻生失言は、
“日本国民といっても、 自分達(世襲議員らなど)のような働かずとも一生遊んで暮らせる金持ちなセレブ層と、 遊びなどは目もくれず一生働き続けても自分の老後が心配な一般国民層に分かれているのだ” |
との彼の本音なのでしょう。
なにしろ、麻生氏は21日の自民党両院議員懇談会や記者会見で、
“自分はこれから生まれ変わった積りで頑張る” |
旨を発言していたのですから。
なぜなら、
世襲議員(麻生太郎)が生まれ変わっても、 又、次なる世襲議員(麻生太郎ジュニア)としてこの世に登場するのですから、 冒頭の本音発言を繰り返すだけなのでしょう。 |
しかし、この程度の人物を細田博之自民党幹事長は、次のように庇っていたのです。
(東京新聞2009年7月25日 朝刊)
「(麻生首相は)字が読めないらしいなんて言って楽しんでいる。役員人事だろうが、閣僚人事だろうが(首相がぶれたとか)そんなことはどうでもいい。しかし、そのことの方がみんな面白い。それが国民の程度かもしれない」 ・・・ |
細田氏は、インタビュー後、“この発言を「真意でない。誤解を招く」として謝罪、撤回した。”とのことですが、確かに「真意でない。誤解を招く」なのです。
なにしろ、
私達国民は“字が読めないらしい”の「らしい」は不要と思っているのです。 即ち、“「(麻生首相は)字が読めない”と認識しているのです。 更には、このような麻生氏を私達は楽しんでいるのではないのです。 “この程度の人物(字は読めない上に、その反省もなく頬かむりを決め込む、恥知らずで、他人の感情を理解し共感できない心の貧しい人物)に私達の生活を委ねるのは、不安でならない!”と嘆き悲しんでいるのです。 |
このような私達の真意を忖度(そんたく)出来もせずに、「それが国民の程度かもしれない」と嘯く(うそぶく)細田氏は如何なる方かと、氏のホームページを訪ねますと、なんとこれまた悲しい事に、次のような記述を目にするのです。
昭和61年1月 衆議院議員 細田吉蔵(父)の秘書となる 平成2年2月 衆議院議員初当選(島根全県区より) |
細田氏ご自身も麻生氏同様に世襲議員であったわけです。 世襲のセレブ族には、私達の気持ちなど理解出来ない事が、 |
なにしろ、冒頭の麻生発言は、せめて次のようであって欲しいと私は思うのです。
自分達が積み立てた年金によって、せめて、老後は、若干なりとも人間らしい生活を送りたいと国民皆様は、働き盛りの時は、会社のため、家族のために、遊びにも目もくれず、一心に働き続けてこられたのだと存じます。 ところが、その希望の礎(いしずえ)である年金制度を長年続いた自民党政権によってガタガタにしてしまいました。 なにしろ、私達政府は、「人民の人民による人民のための政治」というより「世襲議員の世襲議員による世襲議員のための政治」ひいては「金持ちの金持ちによる金持ちの為の政治」を実施続けてしまったのですから、本当に申し訳ありませんでした。 |
そして、更には、
この際は、私麻生は、生まれ変わる積りで、議員を辞して、 なにしろ、私の足は、日々のランニングで鍛えてありますので。 |
とでも、麻生太郎氏には宣言して頂きたいものです。
そして、「世襲議員の世襲議員による世襲議員のための政治」を続けてこられたセレブな世襲議員の方々(細田氏も含め)の範を垂れて頂きたいものです。
(金銭的に豊かで、心の貧しい方々には、政治の舞台から去って頂きたいのです)